
あまりアクセス数が伸びないようなので、マルーンの活動の告知だけでなく、時事ネタに対する所感めいたものも書いていくことに決めました。第1発目は、マルーンがリスペクトするJBの死去について。
06年12月25日のクリスマスに、ファンキー大統領ことジェームス・ブラウンが亡くなりました。
享年73歳。この人は、ファンクの生みの親として称えられていますが、単に新しい音楽を生み出しただけでなく、社会に対してもさまざまな功績、偉業を残しました。例えば、
●封建的な音楽産業の資本家と賃金・権利闘争して勝利し、音楽労働者の地位を向上させる礎を築いたこと。⇒クサレ資本主義の最もバビロンなアメリカで、おそらく初めて、しかも組織に頼らず独りで闘争し、勝利したこの事実は重い。
●コンサートの売り上げから、貧しい黒人の子どもたちの奨学金基金に寄付。また、黒人の地位向上や、職場の確保、能力を開発するためにラジオ局を買収・運営するなど社会活動を行ったこと。⇒黒人に対し何もしないばかりか虐げる国家に対抗するため、自らの所得を貧者に再分配し、黒人コミュニティをパワーアップさせようとしたその心意気や良し。
などがありますが、マルーン的に一番グッとくるエピソードは、以下のもの。
黒人の地位向上を要求するブラック・パワー旋風が吹き荒れる1968年、彼は「Say It Loud. I ’m Black and I ’m Proud」(自分は黒人で、それを誇りに思っていると、大きな声で言え!)というアジテーションな曲を発表。この曲はヒットしますが、あまりにも直球なメッセージだったため、白人はドン引き。白人のファンを失ってしまいます。
また、FBIからマークされ、国税からは見せしめ的な脱税捜査を受けるなど、国家権力からもプレッシャーをかけられます。
このような危機の中で彼はどうしたか? 「sex machine」という、なんとも人を喰った挑発的でヒワイな曲を発表。「オレは絶倫バリバリだぜ」と、権力に対して隠喩的に啖呵をきり、JBここにありと、その存在を世間に見せつけたのです。「sex machine」は大ヒットし、彼の最も有名な曲になりました。
権力や偏見・因習といったものに対して戦うときに、直球で失敗したら変化球、押してもダメなら引いてみなってことですネ。ただし、そのスタイルの根底になければならないのは、そう、
GROOVE!GROOVE!GROOVE!
奥さんや子どもへのDV、バンド・メンバーに対する過剰な管理など、彼には負の側面もありますが、ヒット&アウェイという彼の闘争スタイルから学ぶべきところは多いと、マルーン一同改めて思いました。
JBは死んだが、闘争は続く――。合掌。